2008年11月25日の撮影です。
0系新幹線を撮るために朝6時前から加古川橋梁へ出かけたときのことです。列車が来るまでの間に河口の方向を見ると製鉄所の煙突が林立するのが見えたので撮ってみました。夕暮れの時と違って柔らかな煙突のシルエットが新鮮に見えましたね。
- 価格: 1672 円
- 楽天で詳細を見る
2008年11月25日の撮影です。
鉄道ホビダスの今日の一枚だったと思うのですが、加古川の鉄橋で0系新幹線を写した写真を見て自分も行って撮ってみたのが1枚目です。編成全体の長さの見当がつかず最後尾の車両が切れてしまったのが悔やまれます。撮り直しをしたくても0系の定期最終運行がこの年の11月30日までだったので、自分にとってこの日が0系を撮影できる最後の日でかなわなかったのでした。それにしても朝方、まだ完全に日が昇り切らない空の色合いはとてもフォトジェニックでした。
鉄橋の周辺に駐車場があるのか知らず、当時加古川に住んでいたのでチャリンコに乗ってやって来ました。下り列車が最初の撮影だったので高砂側の土手に回り、川下から狙うのですがかなりの逆光となります。上り列車は川上から反逆光でギラリと光る車体を撮ることができますが後追い撮影になります。ちょっと条件が厳しかったですね。7、8、9枚目は加古川寄りの土手に移って撮影してます。日が昇ってくると車両の前面に光が当たって側面には当たらないという状態になって撮り終えました。
ここで撮るんだったら鉄橋から少し離れたほうがしっくりいくのかなと思ったり、脚立などで目線を高くして撮ったほうが良いのかなと思ったり、架線柱の処理をどうするか難しい場所でしたね。
0系のほかに100系、16両編成の700系も撮影していました。今はもう見られなくなりましたね。
2007年10月17日の撮影です。
横浜の赤レンガ倉庫は観光スポットとして有名ですが、元々は税関の倉庫として1911年にできているんですね。1989年まで実際に倉庫として使われていて壁面が落書きだらけで廃墟のようだったのはドラマ「あぶない刑事」を見て覚えています。1992年に国から横浜市に所有が移って2002年4月に今の赤レンガパークとして整備されたということのようです。
できれば、落書きだらけの廃墟のような赤レンガ倉庫を撮ってみたかったですね。その当時は鉄道の線路もあったはずなので撮りがいのある場所だったでしょう。撮影に行こうと思えば行けたのにそうしなかったのはもったいないの一言に尽きます。
今回、現像ソフトで変形の処理を多用しました。なので、見る人によっては気づいたかもしれません。広角レンズで建物を撮るとき、ちょっとでも上向きにレンズを構えると建物が上すぼまり、下広がりで写ることがありますよね。それをソフトで真っすぐにする処理をして見た目がおかしくない状態にすることができました。ティルト、シフトのできるレンズがありますけど仕事で撮影するわけではないのでソフトの編集で対応できるって便利ですね。
2007年10月17日の撮影です。
地図で見ると横浜ハンマーヘッドの辺りにタグボートが4隻泊まっていたので、彼方に見える風力発電の風車と絡めて撮ってみました。タグボートの船名を調べてみると同じ会社のものではなさそうでした。客船ターミナルのある大桟橋が近いので配備されているんでしょうかね。
写っているタグボートについて調べてみました。会社ごとにマストの色が違うようで、一番手前の白いマストの「長門丸」は東京汽船、灰色マストの「くろがね」はダイトーコーポレーション、奥の2隻は船名が分かりませんがオレンジ色のマストなので新日本海洋社のタグボートということが分かりました。
ちなみに「長門丸 タグボート」で検索すると2014年1月に新造、就航と出てくるので写っているのは「旧長門丸」なんでしょうね。逆に「くろがね」は今も現役のようです。タグボートの置き換えサイクルはどのくらいなんでしょうか。あるサイトで竣工から引退までの期間が記されてあるのを見ると10年から15、6年ぐらいのようなので、2005年竣工の「くろがね」はもうそろそろ引退して置き換えられるのではないでしょうか。
2007年10月17日の撮影です。
横浜みなとみらい21地区は目を惹く建物が多くてつい写真を撮ってしまう場所です。今回は半月の形が特徴的なホテルを写したものを4つ載せてみましたが、画像を見ながらこういう風に撮ったら良かったなとか、この建物だけでいろいろな構図のパターンが思い浮かんできました。おそらく、一日中この建物を撮っていても飽きないぐらいじゃないかなと思うんですよね。撮る位置、撮る角度、レンズも広角、標準、望遠で様々な切り取り方ができるんじゃないかと思い始めると目の前の現像処理作業が中断してしまうのです。